今、思うこと  AAFC物故会員を偲んで

AAFC 連続エッセイ
投稿日
2013/11/29
執筆担当
脇田 隆夫
 

 平成25年も はや年末となり、毎日のように喪中の葉書を頂きます。
小学校の友人、会社のかつての上司、同僚。山仲間、飲み仲間 あぁあの方がと思い出がつきません。
最近の例会には毎回30名あまりが出席、今年始めた分科会も15名以上が集まり元気なものです。今や平均年齢は70歳を超えているのではと思ううちに、亡くなられた会員に思いが至り書き記してみることにします。

初代会長 井上さん
 我孫子駅前で英語塾をしておられた。色白にして温和、飾らぬお人柄で声朗々、どこかお殿様の雰囲気があった。
 平成7年 井上さんが広報あびこで呼びかけ、4月に我孫子オーディオファンクラブ設立にこぎつけた。会場は我孫子市民会館の二階にあった視聴覚室。この我孫子市民会館、実はボーリング場を改装したもので耐震性に問題が有り、売却。今は名戸ヶ谷我孫子病院に変貌している。この場所を見つけ整備するのに教育委員会へ熱心に働きかけたとか。10名が集まり、現在も数名が創立時からのメンバーである。
 (小生は平成9年、自作システムによるAAFCオーディオコンサートを広報あびこで知り参加して入会。当時の例会出席者は毎回せいぜい10名程度)
 井上さんはCDを選ぶのに 音楽ジャンルは問わない、音が良ければ良い 何かありませんかと柏新星堂の店員さんを困らせたとか・・
 拙宅へおいでいただいた時、何故か何も召し上がりません。音楽を聴いているときは、食べ物は一切手を付けないで没頭する、鳴り終わってからゆっくり口にしていますのでと言う。真摯な態度にはっとした。
 コンサートの会長挨拶では、私は機械のことはプラス・マイナスしか知りません、ただ美しい音が好きなんですと毎回言っておられた。
 教育委員会に働きかけたのか、最新のラックスマン製プリ・メイン・CDプレーヤーの他良質なアナログプレーヤーが新規導入された。これで市として恥ずかしくないオーディオ機器にレベルアップがなされた。そこで皆でお金を出し合ってタンノイGRFメモリーを購入した。この銘器 今も久寺家地区センターでの例会で朗々と鳴っている。あまつさえ、ご自分の愛用品タンノイモニター215も提供され、今もつくし野ホールでの例会時に堂々たる威容で余裕の音を響かせています。
 病を得て、数年の闘病生活の後亡くなられた。奥様から、使用していた機械全てを会員でお使い下さいとのたってのお申し出がありました。会員が事務所、倉庫を拝見する。有るは有るは!! SP、アンプ、CDプレーヤー、ケーブルがゴロゴロ出てきたのには腰を抜かさんばかり。それぞれが会員の愛器となった。今も会員はこの機器から流れる音楽で井上さんと繋がっているのでしょう。
 会員は20年弱にして50人を超え、例会、分科会、催し物も大盛況。教育委員会からの提案で共催イベントを行うまで認知されてきました。
井上さん 一粒の麦は立派に成長していますよ。

福岡さん
 自己紹介のお話が今も記憶に新しい。がっしりした体躯の頼もしい男ぶり。満州育ち。あの終戦時 ロシア兵が次々と現れ、各家庭は恐怖のどん底。大男のロシア兵が家に現れるや、蓄音機、レコードはないかと尋ねたそうな。福岡さん宅は可成りレコードもあったので慄きつつ次から次へとかける。気に入った曲がかかると機嫌良くなって陽気に手を叩き、足を鳴らして歌い出す。それからと言うもの近所からレコードをかき集めておいた。ロシア人は音楽好きな国民だと、つくづく思ったと。
この話、自己紹介の時間なので時間が限られ、次の機会に続きのお話を致しますからと結ばれた。又当方もいつかたっぷりお話を聞きたいもの思っていた。
 例会発表は一度だけ。昭和10年製の日本楽器製並4ラジオでCDを鳴らした。なんともセピア色の希少品。確かその日の午後は今では珍しいマグネチックSPをニコニコとご披露された。他にも何台かのクラシックラジオをお持ちのようでした。
後日 秋葉原でも知られたラジオ蒐集家であることを知る。TVでも紹介されたことがあるらしい。
 例会は体調が優れず欠席が多かった。程なくして亡くなられてしまった。あのロシア兵の話の続きを聞きたかったし、ラジオの蒐集も見たかった。残念でなりません。

中島さん
 最年長会員にして、銀髪、痩軀、色白でダンディ、お嬢様からプレゼントされたマフラー姿は粋でしたね。
戦時中から学生に機械を教えていたとか、定かではない。
 例会の出し物は何時もオペラ。視聴覚室にあったプロジェクションTVは画面が暗く、窓を塞ぎ塞ぎ名作に見入ったものです。オペラは総合芸術です、が口癖でした。選曲にあたっては手持ち数枚を常にもう一度全部見て、一番のおすすめを披露していますとのこと。
 ラ・ボエームは終演後暫く会員皆声が出なかった、フレー二のミミに感動していたのだ。蝶々夫人などなど 始めてじっくりオペラの楽しさへ導いて下さいました。
 見かけによらず豪胆なところも・・かつて愛用のスクーターで転倒一回転、メガネは壊れ、あちこち血だらけ。その時些かもうろたえず、まずは一服とタバコに火を付けたと言う。
 広いお庭には大きな桜の木があった。この庭でお花見をしませんかとのお誘いで会員が20名近く集まった。バーベキュー、焼きそば、ビール、ワイン、日本酒を持ち寄り大宴会。バーベキューの炉作りは流石に技術者、上手に設計してありました。お花見は数年続きました。それは楽しい思い出です。
 その後体調を崩され晩年はインターネットで碁を楽しんでおられたと聞きます。

 お三方、思い出はつきませぬ、有難うございます。 合掌

 次は佐藤会長にバトンをお渡しします。よろしくお願いします。

 

以上          

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